ナホミオカダ造形表現研究所の歩み その1

ナホミオカダ造形表現研究所 モザイク

ナホミオカダ造形表現研究所の歩み その1

海外へ出たい

今から30年むかし。インターネットどころか、携帯電話もありません。カラーテレビはでも、もう、ありました。情報が限られた時代のことでした。自由な雰囲気のする外国に、憧れを抱いていました。経済的にも、語学のバックグラウンドもないけれども、その思いだけで、二十代の青春と呼ばれる時間を乗り越えました。

 

まだ見ぬ外国といえば、アートの本場、N.Y.。なんと単純な発想でしょう。せっかく入学した美術大学にあまり魅力を感じることができず、退学してN.Y.へ行きたかったのです。親に懇願しましたが、「家にはそんなお金はありません」とすぐに却下されました。今思えば、二十歳ですし、自分でアルバイトをして稼いで、行けば良かったのです。でも、そんな行動力はありませんでした。悶々とした思いを募らせながら、卒業し、就職しました。

イタリアへの憧れは、高校時代の美術史の影響です。西洋美術の源泉をたどりたいと感じていました。私はどうも、”源”というものに強い関心があるようです。ならばギリシャへ向かうのが順当ですが、当時の私には、ギリシャ文化は遠すぎました。同様に、日本文化を振り返るのも早すぎました。ルネッサンスの国、イタリアがちょうど良い加減だったのでしょう。

N.Y.への憧れには行動が伴いませんでしたが、イタリアへ気持ちを切り替えたら、アクションが起こり始めました。

二十代の引きこもり

二十代後半は、仕事と、アパートの往復。友達にも会いませんでした。ただ一直線に、留学の夢へ、道の模索をした時間。煮詰まりましたね。でも、他に、方法を知りませんでした。キチキチのお給料から費用を捻出し、イタリア語学校へ行きました。仕事と、語学学校で疲れた夜の帰り道、巻き舌のRを練習し、家について夜ご飯と、翌日のお弁当を作りました。缶ジュースも買わずに、貯金しました。金銭的にも精神的にも一番辛かった時間ですが、今では、たいていの苦しいことや、難しい問題は、この時間があったから、乗り越えることができます。

区切り線

5年のヨーロッパ留学を終えて帰国

モザイクの古都、ラヴェンナでモザイク、ドイツ、ベルリンで絵画の勉強を終え、1999年末に帰国します。約5年のヨーロッパ留学幕を閉じるためのリスクは、大きなものでした。運命を変える事故に巻き込まれました。自分のことばかり考えていた二十代のツケなのでしょうか。一命を取り留め、それまでの生き方を見直した瞬間でした。

帰国後は、アート活動と並行して、派遣で働きました。プライベートでは、祖母の介護や、姉の育児手伝いなど、それまでのヨーロッパ生活から一転して日本の現実生活に向き合いました。

 

教室の始まり

派遣先の同僚から「絵を習いたい」という言葉をきっかけに、お絵かき教室を始めます。学生時代に教職を取らなかったので、”教える”ことは、ゼロからの出発でした。また、2001年4月、自ら制作し立ち上げたHPから、「モザイクを習いたい」という問合せを相次いでいただき、自宅の小さなスペースを解放して、モザイク教室を開始します。この年に、ナホミオカダ造形表現研究所を命名し、現在の活動のはじまりとなります。

モザイクナホミン
モザイクナホミン

ナホミオカダ造形表現研究所誕生2001年