モザイク史概要・古代地中海沿岸地域を中心に発展
大理石など石材を割った小片や、小さな自然石などを用いて、生活空間を装飾したモザイクは、古代地中海沿岸地域を中心に、発展しました。
用途は、道路の舗床(ほしょう)、貴族屋敷内の床、公共浴場、邸宅内噴水などにモザイク装飾が施されています。
神話、狩り、英雄の伝説などが主題とされ、主題を豪華に囲むように、さまざまな幾何学文様がモザイクで描かれました。キリスト教時代に推移すると、モザイクの主題は、現実的な空間表現から、聖なる領域の表現へ移行します。
モザイクの起源<メソポタミア文明>
古代シュメール遺跡に、モザイク芸術の萌芽が認められます。紀元前3500年頃、メソポタミアの古代都市ウルクの神殿から、数色の円錐形テッセラで装飾された円柱が発掘されています。
文明都市国家ウルク(Uruk・/現イラク)のモザイク遺跡 (紀元前3500年-前3000年頃)ベルリン・ペルガモン美術館

ウル王朝(前2600-2400頃)では、楽器の共鳴体だという説のある、ウルのスタンダードと呼ばれるモザイクがあります。片面それぞれのパネルに、戦争と平和の図が、貝や、石片で描かれた箱です。モザイクの起源として取り上げられる作品です。
「ウルのスタンダード(The Standard of Ur)」ロンドン、大英博物館

<ギリシア・ローマ時代のモザイク>
”モザイクの技法は、古代ギリシア時代にはすでに実用化されていた(浅野,2009)。” ゆらぎ モザイク考―粒子の日本美 (INAXミュージアムブック)
ヘレニズム期には、川で収集された玉石を使った写実的なモザイクが発見されています。(紀元前4世紀)。アレクサンダー大王の玉石モザイクが有名です。
古代ローマ帝国の領土各地では、富裕層の邸宅にはモザイクが富の象徴として制作されました。モチーフは、狩り、食物、神話など、日常生活に関わるものです。素材は自然石の大理石が使われました。石を並べるというシンプルな柄だったモザイクは、より豊かで繊細なもの、写実的な表現へ進歩へます。
食料や、狩りの様子を描いた写実的なモザイク画は、当時の生活文化の貴重な情報源でもあります。

バティカン美術館 モザイク床 幾何学文様
<ビザンティン時代のモザイク>
ビザンティン世界(5−15世紀)のガラスモザイクは、荘厳な神の世界を描き出しました。カタコンベや、教会壁画に現存し、光り輝くビザンティンのモザイクを、現在なお楽しむことができます。
モザイクは、自然石の大理石から華やかな彩色ガラスを使った表現へ移行。聖堂内の光により、繊細に演出されるビザンティンのモザイク画は、神秘的なキリスト教世界を表現するのに有効な手段でした。
イタリアのラヴェンナはビザンティン時代のモザイクが美しく残る街です。1995年、ラヴェンナの初期キリスト教建築群は、ユネスコの世界遺産に登録されました。


ラヴェンナ/サン・ビターレ寺院 2012撮影
<近代のモザイク>
引き継がれるモザイクアート


現代のモザイク
ガウディのモザイクスタイルに刺激され、女性アーティストの、ニキ・ド・サンファルは、トスカーナに、新たな、モザイクアートの公園を生み出しました。
大理石、陶磁器片(タイルやテラコッタ)、ガラス、貝などの小片をモルタルに埋め込んで図案を描き、生活空間を装飾し発展したモザイク文化は、情報の発達と、モザイク遺跡の発掘が水を得た魚のように、運よく時代が一致し、非常に盛んになっています。
古典技法に留まらず、モザイクアートとしての様々な技法が産み出され、広く発展普及しています。
近年、発掘が進み、鮮やかなモザイクが地中海世界で、次々出土し、研究者そして、私たち旅人の目を楽しませています。
モザイクは、画一的な都市化や生活様式の中で、人類の気持ちを緩やかに包み込む、奥深く、魅力のある芸術表現だと言えるでしょう。