1994年8月26日 ラヴェンナ CISIM

岡田七歩美モザイクアーティスト

 

モザイクを初めて作った。
憧れて、あこがれた。

インターネットはまだない。
留学情報調べは、暗中模索。

ラヴェンナにモザイクの夏期セミナーがあるらしい?

赤坂見附の留学センターで、ようやく見つけた住所にレターを送る。
返信なし。
煮詰まって、国際ファックスを流すのだって大仕事。
回答なし。

習いたてのイタリア語では、国際電話をかける勇気もない。

1994年。イタリア語留学をイタリア文化会館を通して、申し込む。1ヶ月の語学留学奨学金を得られたからだ。ボローニャの語学留学の後に、ラヴェンナの夏期モザイクコースに通う計画だった。ボローニャと、ラヴェンナは電車で1時間強、無理はないだろう。憧れのラヴェンナ。

でも、リド・アドリアーノで毎夏開催される、ラヴェンナ市主催のモザイク学校、チジムからの回答はない。リド・アドリアーノは、ラヴェンナ市内から10キロ海沿いの街。ドイツや北ヨーロッパから、人々は、夏を求めてバカンスに来る。バカンスの時に、ラヴェンナの伝統芸術であるモザイクづくりを体験できる計らいだ。

モザイク学校からは解答のないまま、ボローニャに発つ。たどたどしいイタリア語で、Cisimに電話してもらうよう頼んだ気がする。でも結局、その頃はまだ、行動する勇気もなくて、語学コースが終了したらそのまま帰国しちゃったんだ。東京のしめきられたアパートの郵便ポストには、Cisimからのレターがちゃんと届いていた。

その頃、契約社員の勤め先では、留学目的で働かせてもらっていた。しばらくしてから、再び休みをもらって、ラヴェンナに戻る。

この5年間、留学試験の繰り返しで、一番辛かった時間の果てに、
憧れのモザイク制作と向かい合うことができた。

チジムで、

第1作目のモザイクを作る。イタリア人の先生に、やたらとほめられた。
それまで日本でほめられた記憶がなかったので、有頂天になった。嬉しかった。モザイクの道は、1994年、その歩みを始める。

岡田七歩美モザイクアート
Nahomi Okada the first mosaic made in Ravenna,1994

モザイクは、日本で培った造形の基礎力を、充分発揮できる表現だと確信しました。

1995年、3年目の給費留学試験にパス。ラヴェンナ行きの切符を手にいれる。