”どくだみちゃんとふしばな”に当る

Kitchen Bababa

”人間の敵はいつも人間で、お互いに見張りあうようによくしつけられている。” 「すべての始まり」吉本ばなな 抜粋

”あんなに優しかったのに縁を切られたと怒り狂うことになる。”「忘れたふり」吉本ばなな 抜粋

BANANA YOSHIMOTO

近頃、私にも、おそまきながら吉本ばななブームが起こってってきた。

5月のフィレンツェでは、「Kitchen 」買って、日本語と付き合わせて読もうと試みてみたり。

1995~7年頃、当時ラヴェンナの学生達にも評判の高かったBANANA YOSHIMOTOブームに、日本人のくせに20年遅れて乗ってきた。

現代ものの日本人の小説って、映画もそうだけど、日常とリンクし過ぎている感が強くて、30代とか格好つけてる年頃には、なんとなく、受け入れがたいものがあった。同時代に素直にブームに乗れる体質だったら、今頃きっと、もう少し違う人生を歩めてたと思うけど、私には、そんな風に馴染むのに、20年という歳月が必要だったわけだ。

でもだんだんと、そんな根拠のない感覚的な意識も角が取れてきて、村上春樹さんの小説とか、そして、吉本ばななさんのような、世界中でファンのいる圧倒的な本にも、親しめるようになってきた。

私の中では、読書と国語は、うちにくる多くの人が、美術や図工に苦手意識のあるのと似たように、全然苦手な領域だった。今もそれはかわらなく、私の中に存在する一つの価値基準なのだけども、一度、留学を経験した経由から、”母国語の喪失”っていうトンネルを通過すると、次第に、言葉のもつ力とか、意味とか、そんなものと、純粋に向き合えるように変化した。それって、イタリア語の習得以上に、母国語との出会いだったりした。

どくだみちゃんとふしばな
どくだみちゃんとふしばな 吉本ばななさん有料メルマガの書籍化

人生百の半分を通過してみると、ボチボチ、趣味嗜好みたいなものも形成されてくるんだけど、思い返してみれば、大きな支えになっているものって、「言葉」だったなぁーって思う。

人生に絶望していた20代前半、私を支えてくれたのは、リルケの「マルテの手記」だったし。

そんな風に、都度都度、偉大な作家達の言葉に心の糧を得てきた。

「どくだみちゃんとふしばな」は、吉本ばななさんの有料メルマガ。”渦を巻いている水がくるくると排水溝に消えていくときのきらめき”みたいな”イメージの連なり”だそうです。私は、練馬図書館と、中野図書館で、1と2を見つけて借りて、走り読みしてるところ。

その中で、奈良美智さんとアムステルダムに行ったときの「偏り」が綴ってあって、

吉本さんは、それを、”「奈良反応」笑”って、まとめていた。さすがだなぁって思った。

”しかし、理由はあるのだ。わかりにくいけれどもはっきりとあるのだ。ものを創る人、、、、それが大御所であれ芸大生であれ、全く同じだと思う。ここに行けばいい、もしくは行かない方がいい、ただそれだけの予感のようなものは、目に見えるくらい、触れるくらい、はっきりとそこにある。それをもう無視できない。とにかく、そういうものはなにかを創る人の病気、芸術の副作用なので、どうしようもない。本能の鐘のようなものが鳴り響くと、急にどこかにすっ飛んで行ったり、長年のつきあいを一瞬で終わらせたりする。”

中略

”わがままでもない。ただどうにもできないだけなのだ。自分も苦しい。一貫性もない。法則もない。

ここにいたら作品がダメになるとわかっていたら、その場にはいられないのだ。ただそれだけのことで、説明もできない。” 「忘れたふり」吉本ばなな 抜粋

イタリアンばなな
イタリアンばなな 翻訳家と作家による、言葉と言葉の幸福な出会い。(本書より)

 

作家達の言葉の前には、優れた言葉を生み出す感受性がまずあって、その形にならない思いや経験を言葉で描写する。その中に、自分の心の魂と共鳴する部分があるのが、私には、好きな小説とか、本の条件だと思う。現実思考で情報が好きな人は、情報誌を好むみたいな。私は、感覚的な目に見えない世界が好きだから、そうした世界をうまく言葉に乗せてきた文章に当たると、うれしい。

 

そんな風で、欲を出して、日本語の語りをイタリア語でも追ってみようって買った「Kichen」だったけど、日本語って、すごいなーって思った。吉本氏は、ばななさんの翻訳家との対話の中で指摘する。

B”イタリア語はどの国の言葉よりも、いちばんいい感じに乗る気がします。乗る可能性の高い言葉の組み合わせというか。もともと、美しさとか哲学を表現するためにラテン語から発達していった言葉だから、形容詞の数が圧倒的に違う。英語だと、あらすじの紹介になるか、完全な創作の訳で私が残っていないかのどちらかもしれないですね。”(「イタリアンばなな」アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ/よしもとばなな より)

日本語の曖昧なニュアンスを、外国の言葉に置き換える作業。日本語って、すごいなーって思います。すると、当面は、イタリア語の小説は、日本語からの翻訳本よりも、イタリア人の書いたものを読むほうが優しいって発見にもつながった。

まとめ:つまり、言葉との出会いが私を大きく安定させることを伝えたいブログでした。