平成6年〜平成10年(1994-1998)


Heisei Last 6 Days!

平成カウントダウン・残り6日

ドキドキします。

1989−2018 マイヒストリー 岡田七歩美の平成

平成元年〜平成5年

平成カウントダウン6日、平成31年4月24日の日記。

平成5年の個展が終わったら絵を辞める、留学へ固執した考えも諦める。

個展「天使の愛」は、傾倒していたルネサンス絵画から主題を選び、思いを文章で表現し、同一画面に構成した。こうした表現は当然理解されないだろうと思っていたが、予想に反し、評判は上々だった。1日8時間のアパレルの立ち仕事から通勤1時間強のアパートに帰り、土日も制作。当時立川に住んでいたと思うが、そこから川崎の先生の講座へイタリア語の勉強に通い、貯金を続けた。100円の缶コーヒーどころか、60円のカップコーヒーも考えて購入する時期だった。個展の準備は、約一年制作に向かった。

個展では、「あなた琳派を勉強しなさい」。誰かがこう言っていたのを覚えてる。
今、ようやく、”その時の琳派”を理解できる力がついてきたみたい。
知識と、経験と時間から積み重なって、心の糧となる実際の感覚は、違うものだと思う。

 

個展「天使の愛」1993 岡田七歩美 自画像

 

個展「天使の愛」1993 岡田七歩美 自画像

 

 

さて、いよいよイタリアへ出発。
これ以降は、旅の記録も、写真も豊富。淡々と31年まで平成を回想しよう。

 

 

平成6年(1994)イタリア語学留学2ヶ月へ出発

留学の気持ちも強く固まってきたし、アパレルもバブル弾けて、会社の体制が変わった。退職し、その前に働いていた画廊へ、短期契約で雇ってもらった。

イタリア語を勉強していたイタリア文化会館からボローニャ語学留学の奨学金をもらう。
2ヶ月のイタリア旅へ出発した。平成6年4月。その後続いて、ラヴェンナのモザイク夏期講座を受講したかったのだが、書類などの行き違いがあって、6月に一旦帰国。
復職し、8月また、今度は、目的のラヴェンナへ、モザイクの短期コースへ出発する。

生まれて初めてのモザイク制作だ。1994年ラヴェンナ・チジムの夏期講習。

出発前のアパレル販売職や、当時のメンタル、不慣れな留学ストレスで、体重が激減した。
帰国後42キロまで落ちていた。夢のようだなぁ。

 

平成6年(1994) イタリア2ヶ月の旅出発 ロシア乗り換えでローマ入り 2ヶ月、初めての長旅で、帰国後思い出を、一冊のアルバムにまとめる。見るもの聴くもの新鮮で全部楽しい頃

 

平成6年(1994) イタリア旅 ナポリは怖かったので、当初の予定にはなかった。ポンペイへの移動だけに駅前にホテルを予約していたが、その時乗ったタクシーの運転手と気が合って、結局、ポンペイの後にナポリを訪問、一週間滞在してすっかりナポリファンに染まった。

 

平成6年(1994)日本の友人へあてたと思う暑中見舞い。

 

平成7年(1995)ラヴェンナ留学実現

念願のイタリア政府給費留学に合格した。
いろいろな身の回りを片付け、出発した。平成7年6月17日。
気持ちでは、帰国しない予定。

 

平成7年(1995)6月17日 ラヴェンナ留学出発日の日記

 

平成8年(1996)シチリア研修・ラヴェンナ・アッカデミア入学

モザイク学校のコースが終わる平成8年5月。シチリア・ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(カサーレ荘)Villa romana del Casale でのモザイク研修に参加した。ラヴェンナから列車でシチリアまで向かったんだ。

2週間のカザーレ荘モザイク研修 週末は誘い合ってアグリジェントに旅行した。留学2年目の春。次第に、イタリア語にも慣れてくる。 1996

 

シチリアから戻り、7月には、一人で、アクイレイア 遺跡まで旅している。

平成8年(1996)7月7日の七夕に、アクイレイア に居たことが、日記に記されていた。平成30年に再訪したアクイレイア 遺跡は、かなり美しく整備が進み、当時は入れた屋外ゾーンは、閉鎖されていた。

 

さて、給費の留学期間を終え、もうしばらく、モザイクの勉強の必要性を感じていた。芸術分野の取得には、最低3年は必要だと思っていたからだ。
モザイクの修復を学び、修復の専門家になるか、美術大学へ入学し、現代のモザイクを学ぼうか悩むが、美術大学装飾科へ入学することにし、手続きしてから一旦帰国した。

留学初年のモザイクの勉強は楽しかった。
しかし、イタリア語の表現が十分とは言えず、ストレスもためていた。

もう、イタリアへ戻りたくない。こんな気持ちもあった。

姉が、「そんなに無理してるなら、帰っておいでよ。無理すると、大好きなイタリアが嫌いになっちゃうよ。」と言った。そうだなって思った。荷物もイタリアに残してあるし、ラヴェンナに戻って、本当に辛かったら帰国すると決めて、留学2年目の秋を迎えた。

ここから、ヨーロッパの生活が変化した。

美術大学では、絵筆を再び持った。素直に描くこと、自分自身である表現に自信を持つことを教えてもらった大学だ。自由絵画も、デッサン素描も日本の美大の本質とは異なり、私自身の持っている感覚とマッチした。良い評価も続いた。無理しないで、素直な自分を表出でき始めた時代だ。心も、身体も、リラックスし、ラヴェンナの街へ馴染み始めた。

 

ラヴェンナ大学での制作 作品「女学生の研究」岡田七歩美

 

平成9年(1997)ラヴェンナ壁画コンクール選出

 

ラヴェンナでは、モザイク壁画制作に参加。
プロジェクトはワクワクし、期待感あふれるものであったが、イタリア特有の時間的おおらかな面は、実際の着工まで大きく影響した。遅れで、その夏のバカンスが流れそうになる。一緒に制作をしたアメリカ人の友人は、時間がルーズな問題は、アメリカではあり得ないと怒りを露わにしていた。

確かに、日本、ドイツ、アメリカなどと比べると、イタリアの時間運びの感覚はビックリっするほど違う。イタリア特有の価値観や、政治的な問題があるからだ。モザイクだけでなく、普通にラヴェンナで生活するイタリア人や、様々な外国人との交流こそ、なによりの留学成果だと思う。技術取得だけが目的ではない。その後ろにある「文化」を経験することだ。

 

平成9年(1997)ドーラ・マルクス広場 ラヴェンナ

平成9年(1997)シチリア・エオリア諸島旅行

5月26日〜6月2日まで、バカンスを取った。
カメラは旅には所有しなかったので、スケッチを取る。
スケッチは苦手なのだが、手を動かすうちに、良いものが描けてくる。

「旅は、スケッチに限る」。でも、なかなか実行できないのが本音。

 

平成9年(1997)シチリア・エオリア諸島スケッチ 岡田七歩美

 

 

平成10年(1998)ベルリン短期留学

モザイクの勉強もほぼ終えた。
ヨーロッパに残るのならば、都会に出よう。
そんな時、運良く、ラヴェンナのアッカデミアに、ベルリンの美術大学との交換留学の話が入ってきた。ヨーロッパの大学では、お互いに単位を認め合うエラズムスという交換留学の制度がある。外国人の私は、エラズムスに申し込む権利があるかわからなかったが、大学は正規入学だった。直ぐに手をあげ、選考用の作品ファイル(マッパ)を作り、ベルリン行きの切符を手に入れる。

平成10年4月5日(日)22:40ボローニャ駅発の夜行でベルリンへ出発した。翌16:30ベルリン着と手帳に記す。

 

さよなら平成。残りもう、わずかです。
平成11年へ、引き継ぎます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。