平成11年〜平成15年(1999-2003)


Heisei Last 5 Days!

平成カウントダウン・残り5日

ドキドキします。

1989−2018 マイヒストリー 岡田七歩美の平成

平成元年〜平成5年(1989〜1993)

平成6年〜平成10年(1994〜1998)

平成カウントダウン5日、平成31年4月25日の日記。

緊張してきた。

平成8年〜平成15年(1996〜2003)日記

 

平成10年、3ヶ月の交換留学を終え、ベルリンに残る意思を固める。ラヴェンナの美術大学からベルリン芸術大学、通称ハーデーカー(HdK)へ、編入試験準備にかかった。出発前、abc(アーベーセ)、123(アイン、ツヴァイ、ドライ)さえ、全くできなかったドイツ語勉強始める。

平成11年(1999)は、命を生き直す程の大きな出来事があった年。

およそ5年のヨーロッパ生活に終止符を打ち、帰国後の5年は、絵画活動もしていた。日記を頼りに振り返る。

 

平成11年(1999)ベルリン 森鴎外ギャラリーにてグループ展
グループ展 Flattern。(塩田千春、柴田ジュン、岡田七歩美、畑陽子/企画 和田真帆) 森鴎外ギャラリー ドイツ ベルリン

平成11年(1999)フラッテルン展 ベルリン 森鴎外ギャラリー

 

ベルリンミッテ スナップ

平成11年(1999)12月ヨーロッパ生活に終止符を打ち、帰国

 

平成12年(2000)日本と、ヨーロッパを行ったり来たり
21世紀幕開ける。
新しい世紀を、日本の当たり前の正月風景で迎える。

平成12(1999)12月16日 ヨーロッパ生活に幕を閉じ、帰国日の日記頁。 12月17日17:00、成田着。12月23日には、父母と、3人で箱根旅行をしている。国民休暇村から眺めた富士山は見事だった。

 

平成12年(2000)1月16〜18日 父、母3人草津温泉旅行

平成12年(2000)1月27日 帰国まえベルリンから送った最後の荷物5つ届く

平成12年(2000)1月29日 ミュンヘン経由でイタリアに戻る。
ラヴェンナのモザイク国際コンクールのための制作。ミラーノ滞在。3月16日帰国

平成12年(2000)4月5日 成田発ロンドン経由でイタリアへ
平成12年(2000)4月8日 第一回国際モザイクコンクール/Concorso del mosaico Citta` di Ravenna イタリア ラヴェンナ セレモニー

作品「革命」岡田七歩美

 

平成12年(2000)5月1日 ボローニャ〜ヴィエンナ(ウィーン)へフライト。ストップオーバーで、ヴィエンナ観光し、5月3日帰国

 

この頃、モザイクは看板などの受注を受け、自己表現、すなわち、アートの分野では、絵画でやっていきたいと行動していた。美術年間の画廊一覧を購入し、企画で展示をさせてくれる画廊探しに、電話帳営業をしたり、方々のコンクールなどの取り組みを積極的に行っている。
日本の生活にフィットできない自分と、焦りが、日記から読み取れる。プライベートでは、フルタイムで働く姉の次男出産を手伝ったり、祖母の認知が進む、など、家族の問題に直面する。

 

平成12年(2000)7月11日派遣面接。8月17日〜大手証券会社で週1回勤務。OL仲間から、「絵を習いたい」と言われたのをキッカケに、お絵かき講習を始めた。
同時期、イタリア文化会館のイタリア語翻訳コースに通う。

 

平成12年(2000)9・10月 モザイク看板などの仕事をもらい、制作。初のモザイク仕事。赤堤木舎 東京都世田谷区(平成13年2月竣工)

平成12年(2000)10月10日 赤堤木舎モザイク仕事、最後の納品・設置
平成12年(2000)10月11日 19:30に、ウィーン経由でミラノ到着。10月21日帰国

平成12年(2000)12月 個人邸モザイク表札制作

 

 

平成13年(2001)HP開設・モザイク教室起こり

Nahomi Okada Studio d’Arte(ナホミオカダ ストゥーディオダルテ)看板制作

2000年暮れ頃から、ホームページ作り着手。
ホームページビルダーが流行り、HPが個人でも作りやすくなった時代だった。そうした方面に明るい従姉妹にアドバイスをもらう。留学の模様を伝えたホームページだったが、HPを通して、「モザイクを習いたい」と問い合わせを受ける。
これが、モザイク教室の起こりである。

Nahomi Okada Studio d’Arte 2001 モザイク看板

 

平成13年(2001)4月7日 HP 開設(ベンヴェヌーティ アル モンドディ ナホミオカダ/ようこそ、オカダナホミの世界へ)Benvenuti al mondo di Nahomi Okada

平成13年(2001)4月9日 ウィーン経由でイタリアへ。ウィーンでストップオーバーし、プラハ観光、ベルリン再訪。5月8日帰国

平成13年(2001)6月20日 個人事業届け提出

平成13年(2001)10 月 岡田七歩美絵画 個展 NC Art Gallery 東京 銀座

 

平成13年(2001)〜平成15年2003 絵画個展 心の内面(無)を描き出したいと模索していた時期 私の手が産み出した当時の作品風景は、今、私自身に理解できるようになってきた。

 

平成14年(2002)第二回国際モザイクコンクール

平成14年(2002)1月4日アムルテルダム経由でイタリアへ 第二回国際モザイクコンクールのための制作 2月6日帰国

平成14年(2002)2月18日〜3月9日 岡田七歩美絵画個展 NC Art Gallery 東京 銀座

平成14年(2002)4月23日 チューリッヒ経由でローマin 第二回国際モザイクコンクール/Concorso del mosaico Citta` di Ravenna イタリア ラヴェンナ セレモニー

平成14年(2002)1月16日 フィレンツェスナップ ラヴェンナからの日帰り 久しぶりにラヴェンナの美術大学時代の友人に会う

 

平成14年(2002)5月10日ローマout 成田へ
フィウミチーノから成田へ帰国当日、ローマ発の出発間際の列車上で、典型的なスリにあい、身包みはがされる。
パスポート、航空券、貴重品、全部消える。

体が無事だっただけで、ついていたと思う。

帰国のために必要な手続きを自力で行い、翌朝に帰国した。積極的な行動行為を取れた、自分をほめることとしよう。
ローマでは、友人に言えば、もちろん手伝ってくれたが、それを伝える勇気もないほどの100%自己嫌悪。

 

平成14年(2002)8月19〜31日 岡田七歩美絵画個展 NC Art Gallery 東京 銀座

平成14年(2002)9月13〜23日 岡田七歩美絵画個展 Galleryさくら 東京 羽村市

平成14年(2002)11月3日〜15日 Hawaii旅行

平成14年(2002)12月 岡田七歩美絵画個展 NC Art Gallery 東京 銀座

 

平成11〜平成14の日記や手帳。

 

平成15年(2003)4月〜派遣働く
この年は、なにをしたか、あまりよくわからない。日記をていねいに読まないとダメみたい。

 

平成15年(2003)4月9日HPオープンwww.mosaico.jpドメイン取得

ニフティのドメインで立ち上げたHP、Benvenuti nel Mondo di Nahomi Okadaは、個人のHPとして残し、新たに、ドメインを取得し、モザイク教室専用のHPを独立させた。

平成15年(2003)10月の誕生日日記には、「後厄が開けた」と書いてある。

平成15年12月にアップしたHPより抜粋

「たくさんの事が終わり、今年最後の仕事に取り掛かっています。2003年は、フルタイムOL業をしながら制作活動を展開し、大忙し。職場での出会いや経験から私は、「日本社会」のありのままの姿を実体験しています。たくさんの事を内に秘め、2004年に望みます。また2003年は、どれまでどちらかというと不安定だった私の生活に安らぎと安定感が生まれた年でもありました。2004年は「プロフェッショナル」ということを強く意識して行動したいと思っています。」

この時期から、2006年まで。
月〜金OLで、週末にモザイク教室をする生活。平日の自分と、週末の自分との切り替えに、サルサを始めたり、経済的に少し余裕ができたので、ジムトレーニングデビューした。

 

 

 

 

 

さよなら平成。残りもう、わずかです。
平成16年へ、引き継ぎます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。