Heisei Last 1Days!
平成カウントダウン・残り1日
ドキドキします。
1989−2018 マイヒストリー 岡田七歩美の平成
平成カウントダウン1日、平成31年4月27日の日記。
平成31年(2019)1月下旬
国家試験の、講習を受けることを決めた。
平成31年(2019)2月 着付けお稽古師範科試験合格
平成25年(2013)開始の着付けおけいこは、母の形見着物で習いました。
平成29年からは忙しくなり、お稽古途中放棄状態でした。2月に残り分を受講させて頂き、師範科を卒業できました。

平成31年(2019)3月2〜5日 国家試験のための講習会受講
4日間終日座学。脳みそも、50代になると、思うように働かない時がある。軽度の認知症かと不安も感じ初めていた。講習会の成果は、内容だけでなく、脳の眠ったいた領域が、活性化した気がする。それだけでも、正解だった。
平成31年(2019)3月16日 日記
私のインナーチャイルドを浮上し、受け入れ、次のステップへ進化する旅の道すがら。
人生の癒えていないうみやドロドロがふと湧き出てきてしまった。
きっかけは極度の集中や、
かくありたい、かくあらざるべきという理想主義と、
本来の自分とのひずみ。
心の疲れを思考でごまかし続けた数ヶ月の蓄積。
「次行けサイン」をダラダラ先伸ばしにしている結果。
*
3月、私は疲れていた。早朝仕事も続けていたが、暮れ頃から、愚痴が多く出るようになってきた。秋の国家試験までは、パートを続けたい、4月からの契約も更新したばかりだった。気づかぬ間に、身体と、精神のバランスが崩れてしまっていた。
職場に迷惑をかけ、5年続いた早起き仕事を退職。
職場では、良い経験をさせてもらった。
特に、皇居、勤労奉仕団参加は、思い出だ。
平成31年(2019)3月21日 春分天秤座満月
退社を決めた後に、気がついたら、珍しい春分の区切り目の年だった。
平成31年の春分、満月は、大きな転換期。すぐ動く年。
ネットでは、様々な方面の人たちが、書いている。
前回の春分満月は、平成12年(2000)。
ヨーロッパ生活に終止符を打ち、日本での新たな生活に切り替えた年だった。
*
3月は、よく休む。
休んでようやく、昨年暮れに、久しぶりに展覧会に取り組んだことや、
論文を仕上げたこと、
国家試験受験をするかどうか、自問した等、けっこうがんばっていた自分に気がついた。
これまでの私ならば、
気分転換にピューっと、外国旅行をしただろう。
平成31年3月の私は、違った。
身体の奥底に凍りついていた人生の歪、岩のような塊の部分と、向き合うのを覚悟した。自発的な膿出し作業。
疲労の蓄積で、まさかの鬱再発的な状況に陥った。横になって、ノートに多くのことを書き出して、静かに過ごした。
いろんな本を読み、癒された。
人生の夢と理想と現実に為す術も知らず、闇雲だった20代半ばから、30代半ば。鬱は長引いたが、イタリアの自然と触れ合い、徐々に楽になった。
留学前は、処方された大量の精神薬も飲んだ。その結果、よくない事もあった。当時の状況と、平成31年の私が交差した。
アートセラピーにこだわるのは、薬を必要としない治療法を見出したい思いからだ。モザイク教室の活動の根底にも、それがある。アートは私を支え続けてくれた相棒だ。
私を、本当に強く前向きにしたのは、平成11年(1999)のベルリンの事故でした。
あの日を境に、私は、「生かされている」自分と出会う。
*
スピリチュアルな事柄は、私の中では自然な出来事だったが、それら一連の問題について、HPで触れる事は、少なかった。文章力が足りなければ、誤解を生じる領域だし、わかって欲しい症候群にたやすく陥ってしまう。
平成振り返り、最後となる平成31年の振り返りだって、そんな点に触れるつもりなかったのに、手から膿出てしまった(この漢字表現は良いみたい)。
きっと、平成の塊をハンマーで割り出した何かがそうさせたのだろう。
新しい時代に私は、もっと素直になれるだろうか。
さよなら平成。残りもう1日。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
